境内案内

ご本尊様

ご本尊様

位牌堂

位牌堂

まるで天女の気品・十一面観音

まるで天女の気品・十一面観音

まるで天女がまいおりてきたかのような、気品にみちた観音さまが立っていました。
「聖なる美」とはこのような美しさをいうのだろうか・・・。

柏崎市から高柳町にむかう国道252号の西の入(にしのいり)を右に入ると曹洞宗安住寺があります。その境内中央に十一面観音がたてられていました。明治年間、日露戦争の戦没者供養のために建立されたもので、柏崎市の石工、名人といわれた小林群鳳(ぐんぽう)が精魂を傾けて刻んだ観音像です。

天女の降臨を思わせる大胆なデザイン、頭上の生き生きとした化仏(けぶつ)、胸には瓔珞(ようらく)と心憎いばかりに丹念に彫られていました。おそらくは天衣は極楽浄土への導きを、大きな蓮の花は戦没者へ手向けられた慈悲の心を象徴したものと想像されます。
ともすると端麗なお顔や姿に、私たちはどうしても近付きがたい印象を受けてしまうものですが、ふと足元をみると、なんと素足ではありませんか。自ら民衆の中に飛び込んで衆生救済に歩くという、観世音菩薩の本命をこのとき初めて実感したような気がしたのでした。

佛(ほとけ)の「弗(ふつ)」は"あらず"という意味だそうです。つまり佛とは人の姿をしていながら人を超えた存在を意味しているのかもしれません。

石工群鳳は十一面観音を仏という尊い存在と、救世主という身近な存在を同時に、みごとに彫りあげていたのでした。石仏は、素材の硬さもあって、特に顔や手(印相―いんそう)が強調された、いわゆる「アンバランスのバランス」ともいえる像容が特徴でした。
しかし、近代にいたって、この十一面観音のような均整のとれた、しかも細かいところまで彫りだされた石仏が出現するようになり、「アンバランスのバランス」の時代は終焉(しゅうえん)を告げたのでした。

ただ、近年はこの観音様のような魂にまでふれるような石仏に出会うことが少なくなりました。"整然とした姿と心の関係"という難しい問題がそこに横たわっていたのです。

文:石田  哲弥氏(新潟県石仏の会会長)
平成9年10月17日  新潟日報「街角の風景」欄に掲載

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