安住寺だより

第32号

ご挨拶

東日本大震災から一年が過ぎました。
昨年は自粛のため中止した涅槃会(だんごまき)と合わせて震災犠牲者の皆様をご供養しました。
あらためてご冥福をお祈りいたします。

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「涅槃会(ねはんえ)」法要

お釈迦さまが亡くなる時の様子が描かれています。人々や動物達も悲しみ、植物さえも枯れてしまい・・・
しかしそこには「死ぬということ」そして「今を生きること」様々なメッセージが込められています。

2月15日はお釈迦さまの命日です。この地方では月遅れの3月に法要を行い、ご供養のだんごを皆で分け合う習慣(だんごまき)があります。

写真左:お釈迦さまの命日と、大震災の犠牲になられた方々のご供養をしました。
写真右:そのあとは「だんごまき」で大さわぎです。毎年、3月15日に近い日曜を予定していますので、ぜひおこしください。

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「彼岸会(ひがんえ)」法要

移り行く季節の中で、先祖から頂いた命と大自然に感謝し、お釈迦さまの悟りの世界に渡るべく精進し先祖供養をします。

私たちの住む世界は様々な悩みや苦しみがあふれています。彼岸とは「彼方の岸」つまり悟りの世界にわたるべく努力する修行の期間です。

そのための六つの教えがあります。

  1. 布施(ふせ) 与える喜びを知ること
  2. 持戒(じかい) してはいけないと思うことをしない
  3. 忍辱(にんにく) 感情に流されず、辛抱強くつとめる
  4. 精進(しょうじん) するべきことに少しずつでも励むこと
  5. 禅定(ぜんじょう) 心穏やかに日々を過ごすこと
  6. 知恵(ちえ) ものごとの道理を正しく理解すること

この教えにそって日々、心を安らかに実践していきたいものですね。

春彼岸の中日には年回に当たっている方の合同供養を行っていますので電話にてお申し込みください。
法要のあと、おときをご用意いたします。
雪の心配がなくなるころの春彼岸に、ぜひお参りください。

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住職四十年勤続表彰

このたび、長年にわたり宗門の興隆と寺院護持に尽力したとのことで3月30日、曹洞宗大本山永平寺貫首、福山諦法禅師より、40年勤続表彰を賜りました。

当時、私がまだ若干26歳の時、先代住職が亡くなり、安住寺二十一世を継いで以来、本年で古喜を迎えることとなりました。

この間本堂の土台替えに始まり、屋根の吹き替え、庫裏の新築等々、又先住三十三回忌と開創五百年報恩法要を併修させて頂き、先年には新潟県第三宗務所の所長も勤めさせていただきました。

ふり返ればきりがありませんが、現在、副住職夫婦と2人の内孫に恵まれ、この様な表彰を受けることができたのは、ひとえに檀信徒皆々さまの暖かいご支援あってのことと深く感謝申し上げます。

写真左:大本山永平寺貫首、福山禅師より「住職40年勤続表彰」
写真右:市内河内、長昌寺 木村法道住職も同じく40年表彰でした。おめでとうございます。

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小清水の地蔵さま お引っ越し

江戸時代から守られてきた小清水の地蔵堂が春の嵐によって壊れ、地蔵さまは安住寺にお引っ越しとなりました。
このお堂は村人にとって心のより所として大切に守られてきましたが、修理や維持管理が大変なこともあり、金兵ェさん、権八さん、門治さんらが、寺で守ってもらえないものかと相談に来られたのです。

このお地蔵さまは江戸時代に旅の僧が小清水を訪れ、「九郎右ェ門家の惣五郎親子」に一夜の宿をかり、そのお礼に授かったと伝わっています。

昭和の初め頃に「弥兵ェ家の忠吉氏」がお堂の再建を発願し、村人は力をあわせ今まで守ってきました。
小清水の皆さんの想いが寄せられたこの延命地蔵尊を、今後は安住寺で大切にお守りいたします。

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護持会総会(世話人会議)

4月14日、護持会総会にて前年度決算、本年度予算及び住職交代に関する晋山式準備について審議いただきました。壇信徒の皆様方におかれましては別紙にてご確認いただきまして、ご理解とご協力の程をよろしくお願いいたします。

      

役員一同

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お釈迦さま 降誕会(ごうたんえ)

4月8日はお釈迦さまの誕生日です。雪国では月遅れの5月8日にお祝いの甘茶を用意します。
皆さま、ぜひお参りください。




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南鯖石小学校 最後の卒業式


卒業式までの「日めくりカレンダー」に
    みんなの想いが込められました。

3月23日、閉校を控えた最後の卒業式と校旗返納式が行われ、長い歴史に幕を閉じました。南鯖石小学校の最後の卒業生となった4名は卒業証書を手に、一人ひとりが頼もしく感謝の言葉と新しいスタートへの意気込みを堂々と語りました。

写真左:最後の児童会行事「冬を楽しむ会」全校児童30名のそれぞれの夢が書かれた「ミニかまくら」が灯りに照らされました。
写真右:学生服姿の卒業生がとても大人びて見えますね。卒業おめでとうございます。

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日本列島をおそった春の嵐

「暑さ寒さも彼岸まで」とは誰もが納得の言葉かと思いましたが、今年はどうも様子がおかしいですね。
猛烈に発達した低気圧が4月3日から4日にかけて日本中で猛威をふるいました。
寒気の中に南から温かい空気が大量に流れ込み台風と似た状態になったそうですが、4月になってからも降雪があり、いつ春が訪れるやら・・・

強風による停電の中で眠りにつき、朝、目が覚めると境内の墓地でかなり大きな杉が見事に真ん中で折れていました。

傾斜地で土砂崩れを今まで防いでくれた杉かと思うと残念ですがしかたありません。
不幸中の幸いか?残雪がかなりあります。門前の砂塚さんに相談すると「午後からは老人クラブの仕事があるから午前中にやろう!」と・・・。

大急ぎで除雪作業用に活躍するユンボを墓地に乗り入れ切り倒す作業を進めました。
墓のない方向に引っ張りながら切り倒し、どうにか運び出すことができ、ひと安心。
見事なまでに午前中で作業は終了。
砂塚さん、お疲れさまでした。

もったいないので製材してもらい、有効に利用したいと思います。
たとえお金がかかっても無駄にはできませんよね。

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3年続きの大雪に思うこと      寺族 薩美玲子

私が嫁に来て40数年、記憶にないような大雪になりました。今、民生委員としてこの地域を担当しており、一人暮らしのお年寄りを中心に微力ながら行政との橋渡し的な仕事をしています。
この冬、積雪が4メートル近くにも達し、あらためて雪国の過酷さを実感しました。

近年はたくさんの人手があったころとは違い、若い人も少なくて屋根の雪下ろし作業の手配も困難です。
そんな中、市に豪雪対策本部が設置され、災害救助法によって要援護者宅の除雪作業が進められましたが、行政では手がまわらず各地域で作業してくれる方を手配し、作業人数、日数とかかった金額等の書類を作成してほしいとの連絡がありました。しかも作業した家の写真を二枚ほど添付してほしいとのこと。「ご苦労をおかけしますがなんとかお願いします」と防災課の担当者から夜遅く電話があったのを覚えています。家が雪にほぼ埋まった状態で、角度を変え写真を撮れとは! 玄関にたどりつくのも大変なのに・・・

写真左:長年住む村なのに雪の壁は迷路のようです。雪になれた人でも怖いですよね。
写真右:除雪車と宅配便がいつもの様に「自然の恵み」と「人間の生活力」

作業して数日後の写真など無意味な気もしましたが、「役所も大変なんだな」と思い、まる一日がかりで書類を書き、金額を算出して提出しました。(この地区だけで作業日当はかなりの金額でした)
一昔前なら道路の除雪などは今ほど徹底していなく、それでも近所で助け合い、長い冬を過ごしてきたわけですが、少子高齢化という厳しい時代になったわけです。福祉の充実とは簡単に解決できる問題ではないですね。消費税を増税すればよいのでしょうか? 私にはよくわかりません。

さて、雪が積もって大喜びする人がいます。我が家の孫たちは冬の晴れ間には外で雪遊びに熱狂します。 せがまれていっしょに雪山にかけあがり、滑り降りるとしばらくは筋肉痛と腰痛に悩まされます。 孫を車に乗せて雪の少ない市街地へ向かうと、「ここに住んでる人は雪遊びできなくてかわいそうだね」と真剣に話します。笑いそうになりながら「そうだね、かわいそうだよね」と答えながら、いろんなことを想うのです。この子たちの未来を見ることはできませんが、少しでも良い世の中であればと願うばかりです。

写真左:優月(ゆづき)5才、一帆(かずほ)今年3才になります。
写真右:正月を過ぎたころの本堂。気温の低さで屋根が凍結していたせいか、ごらんのように・・・
危なくて近寄れない日が続きます。雪の重さに鬼瓦が壊れました。



写真左:いつもは見上げる高さの観音様が雪に埋もれてどこにあるのかわかりません・・・ とりあえず手を合わせてから遊びます。
写真右:2月末には屋根からの落雪で本堂の軒先まで達するほどに!

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