安住寺だより

第30号

暑中お見舞い申し上げます

大震災から4カ月が過ぎました。
たいせつなご家族を亡くされ、被害に遭われた方々にとって、私たちすべての国民にとっても、今年は特別な思いでお盆を迎えます。
今も行方不明の方々のことを思うと心が痛みます。様々な問題が山積みですが、早期復興、少しずつでも前に進んで行ければと願ってやみません。


西之入  夏
東海林伸平氏

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復興に向けて

被災地へ義援金をお届けするべく本堂に義援金箱を設置し、これまでたくさんのご協力をいただきました。誠にありがとうございます。

以前お伝えしましたように、大切な護持会の予算の中からも30万円を、お届けさせていただきました。また茨城県にて被災されたお方が前回の便りを見て「今はそちらに行けないが、共に気持ちを届けたい」とたくさんの義援金を送ってくださいました。まさか多大な被害を受けた方からも義援金が届くとは本当に驚きました。感謝と共に心よりお見舞い申し上げます。

先日、青年会の仲間たちと現地のボランティア本部に向かい、流れ着いたごみと堆積した泥を運び出す作業に参加しました。 黒い粘土状の泥を見るとテレビで見た真っ黒い津波の映像を思い出し、しばらく無言での作業になりました。片道6時間の道のりでは作業できる時間などごくわずかですし、また復興にどれだけお金が必要か想像もつきません。

一人ひとりの力は小さいものです。しかし本部の皆さんの「遠方からありがとうございます」「気をつけて行ってらっしゃい」手際良く温かい対応には本当に頭が下がりますし疲れた顔など見せません。本部わきの公園には全国から集まるボランティアの方たちがテントを張り、泊まり込みで作業に参加しています。
きっと一人ひとりが復興を願い、それぞれの思いで現実と向き合っているのだと思います。

皆様よりお寄せ頂きました義援金は年末にすべて集計し、被災地へお届けいたします。
ご協力誠にありがとうございます。

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盆内 施食(せじき)法要のお知らせ

昨年から盆内の日程が変更しています。
7月27日(水)高柳地区
7月28日(木)南鯖石地区
7月29日(金)西ノ入地区

各地区の日程に都合の合わない方はご連絡ください。
昔から親しまれてきた大切なお盆の行事です。
今年も各家の先祖供養をしましょう。
また、新盆を迎えるご家庭の皆さまにも特にお参りしていただきたいと思います。

10時  法話
11時  施食法要
12時  おとき

※とうば供養をされる方は、お早めにご連絡ください。0257(27)2041 安住寺

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「大本山総持寺参拝と富士山・河口湖温泉の旅」 柏刈・小国寺院


大本山総持寺「大祖堂」前にて。盛田老師を囲んで記念撮影

大本山總持寺は明治31年の火災により焼失し、石川素童禅師の大英断と全国檀信徒の総力を得、現在の横浜市鶴見が丘に移転再建され今年でちょうど100周年。

記念すべきこの年に本年度事業として参拝を計画した所、48名の参加希望があり、バスは補助席まで使って満員のにぎやかな旅となりました。わが国の海の玄関・横浜に八万坪の敷地を有し、荘厳な建物が立ち並ぶ大本山としての威厳は、訪れる人を温かく迎えてくれます。御移転百年法要が厳粛に行われ、私ども一行の先祖供養には、大本山の後堂という重要職、盛田老師が特別にお勤めされ、そのあと記念撮影まで。一同感激の至り。

バスは大本山總持寺を後にして今晩の宿、河口湖温泉の湖月ホテルへ。明日への期待は増すばかり・・・。その車中にて明日向かう予定の富士山を見ると頂上にすこし雲がかかっています。湖面に建つホテルの風呂からは目の前に富士山を眺めることができ、皆、旅のつかれを癒しますが、夜の宴会はたいへんにぎやかなものとなりました。夜遅く眠ったのもつかの間、御来光見たさにそれぞれの部屋で期待が高まり、夜明けを今か今かと待ち構えていると、感激の一瞬がやってきました。


梅雨の晴れ間とは思えない最高の眺めでした

刻一刻と変わる富士のお山の姿に歓声が上がります。 世に言う赤富士、やがて湖面には逆さ富士が・・・だれもが感激しました。 ホテルの人も、バスガイドさんも、添乗員も皆一同にこんな富士山は、何回訪れても出会えないと話していました。何という幸運でしょうか。


安住寺からも12名が参加  皆さんありがとうございました

また朝食後は富士山の5号目まで向かいましたが、これがまた素晴らしく山頂も、ふもとも雲ひとつない上々の日本晴れ。何とついている旅行か!お山の頂上に手が届きそうです。それぞれが思い出の写真を撮ることができました。(後で聞くと、ふもとでは気温が上がり真夏日になったとのこと)上々の富士山を堪能する事ができました。山を下り、富士山の伏流水が湧く村、忍野八海を見学。豊富なお山の恵みに驚き昼食後は日蓮宗の総本山身延山久遠寺を参拝し帰路に着き、少し遠出のためか帰宅は遅い時間になったが、素晴らしい旅となりました。

来年の団体参拝旅行は「神奈川県大雄山最乗寺参拝と鎌倉五山史跡めぐり」を予定しております。 お正月号にてご案内しますのでご期待ください。

記・住職

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観音様を「永代供養墓」に改装

安住寺境内の観音さまは、日露戦争及び第一次世界大戦にて犠牲になられた方々の供養のために建立されました。
柏崎の名工「小林群鳳」の作品で、安住寺十九世活眼和尚の発願により昭和初期に建立され、堂内の木喰仏三十三観音と同様訪れる方も多く見られます。


安住寺境内の観音さま 「十一面観音像」小林群鳳作

さて、今や全国的な傾向かと思いますが、少子高齢化、そして深刻な後継者不足による「お墓の維持管理」という問題。 以前より相談を頂いており、近年はさらに多く寄せられるようになりました。 そこで、境内の観音様の台座部分を少し改装して正式に安住寺の永代供養墓とすることになりました。(共同の納骨供養塔として)

今後、寺の続く限りは菩提寺の境内にて永代にお守りできるかと思います。 お墓の問題でご心配されている方はお気軽にご相談ください。

小林群鳳(1848~1913)
嘉永元年、悪田で代々石工を稼業とする家に生まれる。名は久助。父親・源之助は谷根や上輪新田の道祖神を彫った名人。久助は幼少からこの父の元で修行に励んだ。
20歳を過ぎると、さらに腕を磨くため会津若松、そして東京に出て多くの作品を製作。在京中、刻字の大家・廣群鶴の知遇を得、その技法習得に専念。数年で会得し、師より「群」を貰い「群鳳」と名乗る。このころ、浅草で開催された「諸国百工競精会」へ『水滸伝』を題材にした石彫を出品、みごと第二等を受賞。
明治9年、父の訃報に接し帰郷。以来、越後を代表する名工として多彩な腕を振るった。
大正2年10月、65歳で他界。彼の優れた技は、市内に残る石仏群に今も刻まれている。
柏崎市立図書館資料より

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西ノ入で苗植え「土(ど)垂(だれ)と仙人菊」

地元紙 柏崎日報で紹介されました。

市内石曽根・西ノ入でこのほど、地域の特産を目指している柏崎野菜、サトイモの「土垂(どだれ)」、食用菊「仙人菊」の苗の植え付けが行われ秋の実りに期待を込めた。

西ノ入町内会(矢代武町内会長)は中越地震の復興基金を活用し、棚田奥の休耕地を約十四アールの畑に復活。 四年前から土垂と仙人菊の栽培を進めている。

仙人菊は標高の高い所で育つ食用菊で、仙人のひげのように白く細い花弁をたくさんつけるため、この名前で呼ばれる。昔は多くの家で栽培されたが、戦後は田のあぜにわずかばかり育てられ、受け継がれてきた。
収穫は10月下旬から11月の初め。三杯酢、天ぷらで食べたり、みそに漬け込み、お茶漬けにすると、菊の香が食欲をそそる。

一方、土垂は濃厚な味、強い粘り・ぬめりが特徴の小型な在来のサトイモ。
厚揚げや豚肉、野菜をたっぷり入れた、しょうゆ味の汁は地域の伝統芸能にちなんで、「おいな汁」と呼ばれる。
近年、いろいろなイベントで振る舞われ、人気が高い。
昨年は夏の猛暑と、雨の降らない天候でイモの育ちが悪く「今年はたくさん収穫したい」と作業する集落の人たちは声をそろえた。

柏崎日報 6月25日

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編集後記

お釈迦さまが亡くなる時、辺りの沙羅双樹の花が落ち、木は枯れて鶴の羽のように白くなり皆、誰もが悲しんだといいます。

便りを編集しているころ、境内にある夏椿(別名 紗羅の木)が今年は特に見事な花を咲かせました。東日本大震災による多くの犠牲者を悼むかのごとく青い杉苔の上に静かに散ってゆく純白の花。

あの地震さえなければそれぞれの人生を歩んでいたはずなのに大自然はなんと非情なことをするのだろう。美しい花はいつまでも見る者を喜ばせてはくれないものなのかと重ねて思い、寂しさを感じず

にいられません。
生死事大・無常迅速・・・

生とは何か死とは何か、いかにして生きるべきか。それは最も大切な課題であり、時は常に流れ、永久不変なものなど存在しない。
純白の花が1日1日を大切に過ごしなさいと教えているように私には見えました。

住職

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