安住寺だより

第48号

九州地方の豪雨被害にお見舞申し上げます

南鯖石地区においても豪雨による被害がありました。7月4日の明け方、激しい雨音に目を覚ますと、池の水があふれる寸前。西ノ入を流れる川はすでにあふれていました。

ニュースで報道された通り、鯖石川は危険な状態でした。かなり短時間での集中豪雨だったと思います。しかし断続的に雨が弱まる時もあり、十数年前の水害の時ほどではありませんでした。

雪国に住んでいると、積雪には慣れていても大雨の被害はやはり怖いものです。ここ数年は大雨の被害が無かったせいもあり、本当にあっという間に川が増水し危険な状態になるのだということを再認識させられました。

西ノ入では

鯖石川の水位が上がると西ノ入は冠水してしまい、どうにもなりません。水位が下がることを祈るばかりです。(今回は予想よりも早く水が引きました)

しかしその後の九州地方における豪雨被害には誰もが言葉を失いました。気象状況の高度な予測が可能な現在においても豪雨被害に私たちは対応の限界を感じさせられます。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

鯖石川は堤防を越えてしまいそうなほど増水(田島から西ノ入付近)写真左側が旧南鯖石小学校と保育園


田島地区へと架かる「山根橋」
付近の国道も冠水し、通行が困難な状態でした


西ノ入の入口付近は道路が冠水。鯖石川が増水するとご覧の通りに

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東堂の山道作り 境内の斜面に小さな階段を

雪解けを待って春一番に咲くカタクリに続き、七年ほど前に客殿の窓から見える山の傾斜に植えたシラネアオイがようやく成長し、薄い青色の優しげな花が咲くようになった。

だが傾斜がきつくてそこまで行くのが大変なのだ。家族の者にさえ見てもらえないのが悔しく、傾斜地に階段を作ってみようと思い立った。さて、上手くいくかどうか?

隠居して少しは時間に余裕も出来たので、ホームセンターへと何度も通いつつ道具をそろえながら作業にかかった。 使い慣れないツルハシやクワに手こずりながら、少しずつ石を運び難儀したが、約二十日間の作業の末にようやく二十三段ほどの階段で山道を完成させることができた。

山野草に興味のある方はぜひ来年の春にでもご覧いただきたい。優しい花が心を癒してくれるのではなかろうか。

雪国に住む者にとって春の雪解けはどれほど待ち遠しいものか。しかしながら雪解けの春、山歩きには危険が伴うことを思い知らされた。お檀家のある方が先日、大好きな山歩き中の事故により永眠された。とても山が好きで自然を愛し、誰からも慕われる人柄であった。心よりご冥福をお祈りしたい。(合掌)

私は山菜採りや、山歩きができるほどの体力も知識もないがせいぜい寺の境内、裏山で花を育てたり、手入れをしたりする程度で楽しんでいる。

寺を訪れる方々に四季折々の自然を感じていただければ、寺を守る者としてこの上ない喜びである。 今後も大自然の中で無理せず頑張りたい。

東堂



時々境内に野ウサギが現れますが、なぜか一週間ほど住み着いた様でした

畑を荒らすタヌキやハクビシンはもちろんですが、カモシカ、イノシシ、そして困ったことにクマの目撃情報が多くなりました。市の広報で注意を呼び掛けていますが・・・

春先のこと、野ウサギが境内に遊びに来たかと思うと、しばらく住み着いた様子。孫たちは「カワイイから飼いたい! 早く捕まえて!」と、これにも困りました。
またある日、池のほとりが何やら騒がしい? 見ると巨大なタヌキがおたまじゃくしをガブガブと食事中! 白昼堂々と大したものです。動物たちに負けていられませんよね。
さて、あまり人口が減らないことを願うばかりです。

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お盆を迎える私たち

先日の九州北部を襲った豪雨被害により多くの方々が犠牲になられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

そして今年、七回忌を迎えた東日本大震災。被災者のかたがたはどう受け止めているか、ある方の手紙からそれを学びます。
男性、八十歳。家、家族、すべてを失いました。
「自然の威力の前での人間の力は無いに等しい。しかし天を怨みはしない。打ちのめされたとも思わない。黙って受け取るよりほかはないのだから。ですが、私は生き残りました。なぜ生き残ったのか、それをしっかり生きながら考えます」
もう一人は女性、五十七歳。家族三人をなくされました。
「気づかせていただいた、と私は思っています。初めて会う人たちと、声を掛け合い、ともに泣き、物を分かち合い、手を組んで立ちあがろうとして、はっと気がついたこと。それは、人間のやさしさ、あたたかさ。強さ、でした。人間とはこんなにも美しかったのかと、他人のなかに、自分のなかに、それを発見したのです」
お一人は天を怨まず生き残った意味を考えたいといわれ、お一人は、気づかせていただいた、と言われています。
このお二人の言葉は、日本中の人たちが深く考えねばならないことだと思います。
自然は創られたままに動いています。人間はその自然のなかで、動かされるままに生死を繰り返しているに過ぎません。この真実を謙虚に受け止めたとき、今日一日の命の尊さがわかってくるのだと思います。そして他人同士が声を掛け合うこと。これは新しい人間社会を創りだしてゆく原点とも言えましょう。
現代は「より便利」を求めすぎて人間同士が孤立し、無縁社会を作ってしまいました。
それではいけないと、震災で生き残った人たちは叫んでいるのです。
東日本の復興は、同時に人間性の復興であり、日本人全体の魂の復活をも目ざします。
呼び合い、助け合うことで、これまでにない、いきいきとした新しい日本を作っていきたいものです。
じつに多くの人びとが尊い命を失いました。そのすべての人が、今日を生きている私たちと深いかかわりを持っていたのです。
今年もお盆を迎えます。亡き人びとに追慕と感謝の心をこめ、次の世代へと受け継ぐことを誓いながら、しっかりとご冥福をお祈りいたしましょう。
私たちの生きる姿を亡き人びとは、きっと微笑んで見ていらっしゃいます。

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お盆参り
盆内(ぼんうち) 施食(せじき)法要のお知らせ

※とうば供養をされる方は、お電話ください。地区ごとの日程は次の通りです。
7月27日(木)高柳地区
7月28日(金)南鯖石地区
7月29日(土)西ノ入地区

各地区の日程に都合の合わない方はご連絡ください。(おときの用意があるため) 
昔から親しまれてきた大切なお盆の行事です。今年も各家のご先祖供養をしましょう。 また、新盆を迎えるご家庭の皆さまには特にお参りしていただきたいと思います。
10時 施食法要 法話
12時 おとき

0257(27)2041 安住寺

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東堂の たわごと法話 「参道」 平成29年7月

寺にとって「参道」とは、これから参詣しようという心の準備を整えてくれる静寂な空間である。

この空間を一歩一歩進むごとに、心の姿勢が素直に正されて参詣の気持、気分が整い、すがすがしい気持ちになる。そんな環境作りも、寺を護る者としての大切な務めだ。

参道を通って境内に入り、菩提寺(ぼだいじ)のご本尊に対面してお参りをする。
そのお参りは 時に祈りであり、何らかの報告であり、または懺悔(さんげ)であり、誓願(せいがん)であり、菩提(ぼだい)心(しん)を発(おこ)すということ。
そしてもちろん菩提寺は、親や先祖の精霊を祀る報恩供養の場である。 
訪れる人の目的は様々だ。境内や本堂の仏さまの拝観、坐禅をする人、懐かしい故郷の思い出に浸る人。
お参りを終えると再びこの参道を通り帰路に就く。

「下山(げざん)の道は 上山(じょうざん)の道」
帰る人の心を また静かに
整えてくれるのもまた参道なり

近年は都会より、心の癒しを求め訪れる方が多くなったようだ。
安住寺の参道は短いが、緑美しい苔を掃き清めて、訪れる人々にとって 心の癒しとなればと思っている。

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編集後記

暑い日が続きますね。でも孫たちは毎日元気に小学校に通っています。帰ってくると宿題をさっさと終わらせて遊ぶことに一生懸命。ふと見るととても短くなった鉛筆を使っています。「もう新しい鉛筆に変えた方がいいよ」といいかけて自分の子供時代のことを考えました。鉛筆はナイフで削り、短くなるまで使うのが当たり前でした。

時代は変わり鉛筆削りは電動になり、削り加減がよくわからないのかしら?
ある日、「鉛筆削りが壊れた」というので手でハンドルを回す鉛筆削りを買ってあげると以外にも「こっちの方がいい」と気に入ってくれました。短くなっても、ものを大切にする心がけ。とても大事なことです。その一方で「そんな短い鉛筆を使ってたらダメよ」と言われてしまうかもしれない現代の子どもたち。むずかしい時代ですねぇ。

さて、「鉛筆は自分の身を削り、人のために役立ち、やがて短くなると使命を終えて次の鉛筆に役目を譲るのよ。私たち人間も世のために役立ち、いかに生きるべきか・・・」なんてことをお話ししようかと思いましたが、孫たちに嫌われそうなのでやめておきました。

古来より日本はものを大切に使う心を重んじてきました。それは、ものに限らず他の命をいただくときも決して無駄にしないという心がけです。いつか孫たちとそんなお話ができるといいな、と思ったある日の出来事でした。

今年も暑さに負けないようにお盆を迎えたいと思います。皆さまもどうぞお体大切にお過ごしくださいね。

寺族 玲子

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