安住寺だより

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感謝

わが曹洞宗の聖典『修証義』の第五章 行持報恩の中ほどに、「病雀尚ほ恩を忘れず三府の環よく報謝あり、窮亀尚ほ恩を忘れず」 とあります。

意味は「ある役人が弱った雀を助けたところ、その恩を忘れずに、四個の白玉をくれたという、その玉のお陰で、子孫が大臣になった」 という、もう少し詳しく言いますと、傷ついて地上に落ちた雀を助けたところ、ある日その雀の化身が枕元に現れて、お礼に四個の白玉の環をくれました。その玉を所持した子孫が四代に渡って三府の役職に登用したという。これは中国の唐代の故事を引用したものですが、三府とは、大臣の位のことです、要は雀のような鳥であっても、親切にされたことに感謝をして、恩返しをする、まして人間は親切にされたら、その御恩を忘れてはいけないと諭します。

今年のノーベル生理学・医学賞に輝いた中山伸弥氏は50歳の若さです。日本人としては、19人目で、医学賞は2人目です。この中山先生の受賞の言葉は、『感謝』 です。家族や先生、研究者仲間はもちろん、政府や自分の関わりのある人全てに感謝の意を表したいと話されて居られます。 これは中々できない事です、こんな大賞を授与されれば、どこかに自尊心が垣間見えてもおかしくないのですが、それは全くなく、研究途中の責任を強調されました。 暮れの10日はノルゥエーの宮殿に於いて晴れの受賞式オメデトウございます。

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お盆を迎えて

お盆は正しくは「蘭盆会(うらぼんえ)」といい、亡くなった家族やご先祖様が家に戻り、その期間を家族と一緒に過ごすという大変情諸豊かな伝統行事で、柏崎・刈羽地域では盆内(ぼんうち)と呼んでいます。

数多い仏教行事の中でお盆は正月と同様に「お盆休み」と言われ、古来、「盆暮れ」とか「盆と正月が一緒に来たようだ」などという言葉が多く使われるように、日本民族の一大行事です。

お盆の起源はインドの古い農耕儀礼と仏教の供養会が結びついて始まったといわれ、日本で始めて盂蘭盆会が行われたのは推古天皇の時代、西暦六〇六年 七月十五日であったとされています。

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お盆の先祖供養について

寺では、盆内に「諷誦(ふじゅ)文(もん)と塔婆(とうば)供養(くよう)」をしております。諷誦文とは、当山に代々伝わった供養文で奉読供養をする法要です。先祖代々の供養や両親の供養、兄弟の供養、幼くして亡くなった幼児の供養、お国の為に応衆され犠牲となった英霊の供養、またこの一年の間に亡くなられ新盆を迎える方々の供養にそれぞれふさわしい供養文として伝えられ、ご詠歌を間に挟み供養しますが、この様なご供養を行じているお寺は、日本全国でも数少なくなり、残念ながら新潟県でもまれなお寺の一つとなってしまいました。 しかし私の代だけでもこの伝統行事は続けたいと思っております。 せっかく盆内においで下さる皆さまへ住職のこころづくしと思って、暑い時節の法要ではありますがお参り下さい。

一口にご先祖さまといいますが、顔も名前も知らないご先祖様がおられたから今の自分が生きていられることを思い、わからないご先祖の霊にもご供養しましょう。 私たちには誰でも必ず両親がいます。その両親にもそれぞれ両親がいます。 祖父母、曾祖父母と数えていくと次の表のように沢山の先祖につながることがわかります。例えば十代さかのぼれば、あなたには一、〇二四人の命が受け継がれています。 二十五代さかのぼると数字も多くなり、その前の方もおられるので三三(さんさん)五五(ごご)のご先祖さまと呼ぶこともいいでしょう。

1代(両親)…2人
2代(祖父母)2×2…4人
3代(曾祖父母)4×2…8人
4代  8×2…16人
(中略)
10代 512×2…1,024人
15代 16,384×2…32,768人
(中略)
25代 16,777,216×2…33,554,432人

このように数えきれないほどのご先祖さまがいらっしゃることになるのですね。 本当におどろかされます。

古代から連綿(れんめん)と続いて、今の自分がいるのです。人は皆この尊い命をいただいて社会の中で生活していられるのは、多くのご先祖さまのおかげです。また私たちが生きていられるのは空気や水、太陽の光、自然が育んだ恵みをいただいているおかげです。食事のお米・野菜・肉魚等、動植物全て命のあるものは皆、命のつながりの中にあり、お互いに助けあい、支えあわねば生きていけません。

私たちは、ご先祖さまや、多くの人びとの「おかげ」をもって生かされているのです。 食事の時「いただきます」と挨拶をするのは食材の「いのち」を頂くことと、多くの人々に対する感謝とお礼の言葉です。ご先祖さまから受けついだ尊い命で生かされているという自覚を持ち「おかげさまで」と感謝しましよう。

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明日の心配は明日で足りる -教えに生きる-

「バカヤロウ!」とどなりつけられると「なにを!」と反射的にカッとなる。それは静かな池に石を投げると、ポチャンと音を立てて波紋ができるのと同じである。しかし、水の波紋も時がたてば次第に弱まり、ついには何事もなかったように静かな池にもどる。
ところが私たちの場合は、そう簡単にはいかない。

「お前こそバカではないか」「何で人の前で大声でおこるんだ!」などと考えれば考えるほど頭にきて腹の虫がおさまらない。
水の波紋は時間の経過と共に勢力がよわまる。なぜ人間の場合はそう簡単にいかないのか。それは、人間は「考える」動物だからである。考えは考えをよび、次々連鎖反応する。それにつれて感情も大きく起伏する。時によっては一年後にでも仕返しの傷害事件を起こすことだってある。考えまいと思ってもグチグチ考える癖が付いて押さえがきかない。

『気に入らぬ風もあろうに柳かな』という句があります。癪にさわってもそれを問題にしないで、さらりと流すのがよい。「馬耳東風」という言葉があります。「馬の耳に念仏」ともいわれる。これは聞いても聞こえない振りをして、その場をごまかそうとする態度である。つまらない考えをため込んでおかずに頭の中を風通し良くしておく意味での「馬耳東風」がよろしい。最近は馬を見ることも少なくなった。さしずめ「猫耳東風」といきたい。
「明日の心配は明日で足りる」と、決め込んで日だまりで熟睡している猫を見習いたい。
人間は「考える」ことで文化生活をするようになった。だが「考える」事で悩んだりいらいらしたり心配ごとが絶えなくなった。

前大本山總持寺貫主 板橋興宗禅師
法話「人生は川の流れのごとく」 要約

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和尚の地震聞きがたり

柏崎市といえども旧刈羽郡、野田(鵜川郷)、南鯖石、高柳町、小国町は長岡市に編入と昨今の町村合併でわが故郷は様変わりしてしまいました。
そこに輪をかけたように一昨年の中越地震、春3月の能登沖地震、まだ恐怖の冷めやらぬ内に、事も有ろうか、足元に柏崎出雲崎を震源とした中越沖地震、どうなってしまったのでしょうかね…ね。

田舎が今回の大地震災害で大きく変わろうとしています。住人達が思い出とともに大切にしていた家具や衣装、食器、アルバムなど子供の思い出とともにしまいこんでおいた様々の段ボール、先祖代々の仏壇を失ってしまいました。しかもゴミ扱いという形で 狭い仮設住宅に入り切らないという価値観のもとで息子や娘達、周りの人たちが、これもいらない、あれもいらない、これからの生活では使わない、よってゴミなのである。
むかし月掛けの「たのもし」「無尽」等でやっと買い揃えた輪島塗のお膳も、家具も倒壊危険家屋という黄紙、赤紙「市役所の立ち入り禁止」の紙がすべてを持ち去る。

1枚の紙が、もう生きてせいぜい5、6年この家で子供達を育て、姑を見送り、夫も送った、そしてやがて自分も死ぬ、その死に場所がなくなってしまった。
仮設住宅という、近代的な狭い空間は、友との語らいの場、昼寝のやすらぎすらも奪う。隣の音とエアコンのうなり声、電気代という維持費、トタン屋根の雨音等々、これから雪国の宿命である、寒い寒い木枯らしが吹きまくり、やがて雪の生活に入るわけだが、その苦労はいかばかりか想像するにも恐ろしくなるという。

「婆ちゃんまた 散歩かね」顔見知りと出会う。
「壊した家の跡を見に毎日のように散歩に通う」のだそうです。
あの跡に行くと、昔からの知り合いに逢える、空き地となってしまったかつてのわが家に立つと、ここに台所、ここに仏壇、父ちゃんが此に座っていた。仮設住宅の入居は、嫁入り道具のタンスも仏壇もダメだった。小さなタンスと新しい食器棚があるだけ、あとはみんなゴミとなってしまった。復興、復興と皆云うけれども私はいったい「どこへ行けばいいのかね」と話しておられました。

2、3日前から寒波がきて、柏崎も初雪を見ましたし、西の入も雪が少し積もりました。六日町の奥の魚沼、津南で初雪が70センチも降って観測史上初とのこと、3年前の中越地震の次年は大雪となりました。来年はどうなるか逢う人逢う人、同じ言葉を交わしている年の暮れです。

どうか檀信徒の皆さんで地震被害に遭われた方は1日でも早い復興を願っております。また、故郷を離れて居られる方や親戚、越後に関係のかる方々は、一層のご支援をお願い致します。

昨年の正月の一口法話で「無財の七施」について書かせて頂きました。

捨身施…苦労を惜しまず人のためにつくそう
慈眼施…やさしさと愛情のこもった眼で接しよう
愛語施…優しい言葉かけをしよう
和顔施…なごやかな表情で人に接しよう
心慮施…他人のために喜びも悲しみも分かち合おう
床座施…健常者は(若者は)席を譲り合おう
房舎施…困っている人には家や部屋を提供しよう

被災者にとっては、優しい言葉や、たとえ電話をいただくだけでも頑張る勇気がわいてくると云います。
住職 薩美帰一(平成19年初冬)

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和尚の一口法話  無財の施し

人はみな生きてゆく上で実に多くの恩を受けて生活しています。
その恩に報いるために周囲の人に何かプラスになるものを配達することを仏教では布施をすると云います。
布(ふ)とは水が大地に浸みわたるように広く浸み通ること、施(せ)とは社会にお返しをしていく行為をいいます。布施には、お金や品物を必要とすることもありますが、お金や物によらない布施もあります。これを無財の施しと申します。
お金や物では買えない価値を持った絶対の施しという意味をもっております。

いつでも、どこでも、だれにでもできる普遍性をもっています。では我々が人に配達できる無財の施しはどんなものがあるのでしょうか。
まず、苦労を惜しまず人の為に尽くす捨身施(しゃしんせ)があります。
次に、慈しみと愛情のこもった眼で周囲を眺める慈眼施(じげんせ)
愛情に満ちた言葉で語りかける愛語施(あいごせ)
なごやかな表情で人に接する和顔施(わがんせ)
次に他のために心を配り喜びや悲しみを共にする心慮施(しんりょせ)
次に、場所や席を譲り合う床座施(しょうざせ)
家や部屋を提供する房舎施(ぼうしゃせ)
などがあります。

ところで、これらの布施を配達するときに気をつけなければならないことは、思い上がった施しや恵みになり易いことです。
布施はあくまで、報恩感謝の気持ちでやってこそ本物といえます。
大きな顔をしたり、得意になったり、見てくれがしの行為だったら滑稽なことです。
ましてや、感謝を相手に求めたりしたらお礼を請求することでナンセンスです。

施しは与えるのではなく、与えさせていただくもので、感謝の念は施しをする側にあるのが当然です。これが無ければ、いかなる布施も全く意味がなくなってしまいます。

新年にあたって布施の風が世界中に吹きまくることを念じます。

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和尚の一口法話  坐禅はいまなぜ大事なのでしょうか

いま私たち日本人は病んだり、患ってはいないでしょうか?
過剰な化学文明、または情報化社会といった病気にさいなまされてはいないでしょうか?
いつも外界(とりまき世界)の物事に振り回され、時間に追われてセカセカと過ごしている毎日です。世間の眼を気にし、世間や社会の風潮、流行に振り回され、自分の主体性や落ち着きを失っていませんか。
どこかで、こうした病を癒す必要に迫られているのです。

21世紀を迎えようとする現在、心静に自分を省みる、自分自身が何者なのか、自分の命はどういう意味を持っているのか、何のために生きているのか、人間としての生き方、生きていくことの意義、自己の生き様を自分自身に問いただす時に来ているのです。これを解決する道として坐禅があります。

坐禅は『心と身』の調和を実現するという実践なのです。即ち『座ることによって身と心を調整し、人間のあるべき姿に目覚めて、人間らしく生きること』なのです。

坐禅をすることによって、身ずまいをきちんと整えると、また心も自然に整えられてくるのです。 それは、身も心も傷つき病んでいる自分を本来の姿に帰すことであり、本来の姿になって生きることです。私たちは、いかに本来的でない在り方、生き方をしているかを深く静に反省してみるべきだと思いませんか。

機械に追われ、機械に使われ、文明に追い回される自己を取り戻して、これらを使うという立場へと転換する。いや、使うという立場からも脱して、何ものにもとらわれず生き抜く、この力を実現させてくれるのが、道元禅師が示された「只管打坐」(しかんたざ)の坐禅なのです。

しばし心を落ち着けて丹田(へその下)に力を溜めて深呼吸して見ましょう

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皆さんありがとう 僕幸せだったよ ルック

長い間皆様にかわいがっていただきました長い間皆様にかわいがっていただきました、愛犬「ルック」が昨年十月十九日に永眠いたしました。十歳でした。 七月頃より下痢や吐気と体調をくずし、十月に入ると急に体重を落として入退院をくり返しておりました。 生前よりお見舞いやらご心配をたくさん頂戴して、本当に幸せ者でした。 きっと今頃は風に乗って野に山に海にと、楽しそうにしっぽをふりふり駆け巡っていることでしょう。 亡くなる三時間ほど前の面会にはありったけの力でしっぽを振って「お母さんだっこして」といわんばかりの表情が今だに忘れられません。
玲子
子供のころのルック ルックのお墓

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