安住寺だより

第57号

暑中御見舞い申し上げます

いまだに世界規模で混乱が続いていますが なんとかこの難局を乗り越えていきましょう

全国各地の子どもたちは今・・・

もうすでに初夏を通り越して夏の日差しを感じる毎日。昨年の記録的な猛暑を思い出しますね。 学校は再開しましたが、毎年楽しみにしている行事も軒並み中止となり、挑戦すること、目標を達成した喜びを感じる機会がなくなり残念です。コロナ禍の中で子どもたちも自粛疲れに?
長引く経済の停滞は深刻な問題ですし、地域社会全体で子どもたちの未来も真剣に考えなければなりません。

コロナ禍の混乱がつづきますが、今年もお盆を迎えます。
日本人にとってはある意味、最大のイベントともいえる盆供養ですが、今年は例年通りに行うことは難しい状況です。
7月に行う「盆内 施食法要」については次ページにて掲載しますのでよくご覧になってください。

例年、お盆に帰省した子ども達のために納涼会を企画していますが今年は無理なようです。えんま市、花火大会、様々な行事が中止となり、子ども達もがっかりしていました。
運動会など学校行事、市の水泳大会も中止。小学校では毎年全校八石登山があり、上級生が下級生を助けながら協力して目的を達成する素晴らしい行事なのですがそれも中止に。残念ですが今は仕方ありません。
学校も、職場も、私たちの日常生活自体がしばらくの間は先の見えないトンネルにいるようです。
しかしその先には明るい未来、希望を見いだして歩いていかなければなりません。病に倒れ、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
緊急事態宣言中は特に皆様にご不便をおかけしましたが、ようやく少しずつ良い方向に向かっていくのではないかと願っています。これから暑い季節が続きますが、皆様くれぐれもご自愛ください。

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お盆参り 大切なお知らせです 盆内(ぼんうち) 施食(せじき)法要

日程について(注意! 例年と違います)
七月二十七日(月)高柳地区 十時半から法要
七月二十八日(火)南鯖石地区 ※この日は法要を二回に分けて行います
九時半から(一回目)法要
十時半から(二回目)法要
七月二十九日(水)西ノ入地区 十時半から法要
  1. 年回のとうば供養、または風誦文供養(特別供養)をご希望の方は必ず事前に電話してください。当日の申し込みはできません。
  2. 行政の指導に基づき、密になるのを避け、時間の短縮など配慮します。おときの用意(食事)はありませんがお許しください。
  3. 二十八日(南鯖石地区)は大勢なので、法要を二回に分けて行います。先に受付けが済んだ方を一回目にご案内し、後の方は他の場所で分散してお待ちいただきます。
  4. 各地区の日程に都合の合わない方は他の日でも結構です。
  5. あくまでも現在の予定です。今後、感染者数の状況などにより、変更になる可能性もあります。

遠方の方、ご心配な方、お参りに来られない方々におかれましては、別紙にてご供養の申込書を同封させていただきました。よくお読みの上ご判断ください。
電話 0257(27)2041 安住寺

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大般若法要

一刻も早く災いが収束するように、その願いをかけて・・・
年に一度の大切な法要です。諸災消滅・病気平癒・五穀豊穣などを祈願して行います。
安住寺の恒例行事、大般若法要は6月の第4日曜に予定していまが、すでにお知らせしたとおりに、今年は山内のみでお勤めしました。
本来ならばお集まりの皆さまとともに様々な災い、特に昨今のはやり病、また水害による甚大な被害などといった不安を払拭すべく盛大にご祈祷するところではありますが、山内で法要を行いました。
外を眺めると田畑では作物が日々成長し緑濃きその姿はとてもきれいな、すがすがしい季節。その自然の中で生かされている私たちにはときに理不尽なこともありますが、少しずつ日常を取り戻してゆけるよう願うばかりです。
来年こそはぜひお参りいただけますように。

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禅の言葉に学ぶ

「雪裡梅花只一枝」 (せつりのばいか ただいっし) 道元禅師

今は夏なのに「雪」「梅」とは季節外れな話しだな? と思われるでしょう。
「冬、雪に埋もれたままだが一枝の梅の花がすでに春をじっと待っている様子」
さて、ここでいう梅の花とは「真実・さとり」を表しています。
つまり、「厳しい状況(冬の寒さ)にあっても、それを乗り越え美しい梅の花(さとり)が咲いた」
と見て取れます。
さらにもう少し・・・
「厳しい冬の最中なのに花が咲いている」こと。
それは、「困難を乗り越えたときに花が咲くのではなく、厳しい状況の中においても確かに花を咲かせることができる」
そこには、
「迷い多きこの世界、困難のなかにあっても真実(さとり)を得ることができる」
「さとりの世界とは日常からかけ離れたところにあるのではなく、迷いの世界に生きてこそ真実を得ることができる」という意味もあると思います。

今、コロナ禍の中で不安や迷い多き時期ですが「必ず春は来る、いやもうすでに春は来ている」
そう教えてくれる一枝の梅の花。その姿を思い浮かべて希望を見いだしたいものです。

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編集後記

コロナ禍の混乱のさなかにも、それを感じさせないような美しい田園の広がる風景。今、最高にきれいです。
そんな中をマスク姿で通学する孫たちに違和感を感じてしまいます。学校が臨時休校の時は、まさに先の見えないトンネルにいるようでした。
5年生の長男は「もう学校行きたくない」とぼやき、次男は入学式早々に臨時休校。そうかと思えば、受験生たちはどうなるのだろう? 進級は? 9月入学? 年寄りにはさっぱりわかりません。不安でしたよね。
ひと昔前、「ゆとり教育」が導入されたころの子ども達が「ゆとり世代」などと呼ばれていたようですが、もしかして今の子達は「コロナ元年」の「コロナ世代」なんて呼ばれたりするようになるのかしら?
ようやく学校やクラブ活動が再開して少し安心。まぁしばらくはグダグダでしたが、やっと元気になったようです。何かおもしろいことを見つけさせて、おだてないとだめですね。特に男の子は・・・。今は、腰痛持ちの私のためにイスを作ってくれるそうで楽しみにしています。
夏休みの自由研究にするつもりのようですが、夏休みがほとんどないことを知っているのかしら? 少し心配です。